恩師の退職

 一通の通知が届いた。
それは私の内包するある想いへの決別を促すものだった。

 十数年前、私は在籍していた大学を中途退学した。
さらに遡ること数年前に病を発症してから、大学へは通えない状況が続いており、選択の余地すらないうえでの選択だった。
当時、親身になって相談に乗ってくださったのが、担当教官だった箱田教授だ。
私が大学へ通えなくなったころから数回の入退院を経て退学するまで、教授は私が何とか大学に戻れないか骨を砕いてくださったが、結局私は戻ることができなかった。
その箱田教授が三月を以て退職されるという。

 教授の最終講義と祝賀会への案内の通知。
祝賀会についてはともかく、最終講義に参加するか否か、私は悩んだ。
その中で見えてきた、自分が抱えている想い…大学への未練。
大学へ戻って講義を受ける夢を、私は今でもよくみる。
それもなかなかの頻度で。
もう退学して十数年が経とうというのに、私はいまだに大学への未練をひきずっているらしかった。

 箱田教授の退職の通知は、そんな自分の心の中を覗き込む呼び水となった。
大学時代の思い出。
学友と交わした会話。
提出したレポートの数々。
自分ではもう忘れたと思っていたものが一気に溢れ出す。

 思考と感情の混乱を避けるため、最終講義および祝賀会は欠席させていただくことに決めた。
箱田教授への恩義の念は強いが、自分を守るための選択だ。

 あのときもし状況が違っていたら…。
誰もが一度は抱いたことのある「if」の世界。
多分に漏れず、というか人並み以上に私の「if」への想いは強い。
それでも私は「今」を生きている。
自分が失ったもの、それと引き換えに手に入れたもの。
それを忘れずに私は生きていかなければならない。
欠席の決定へ至る過程で、私はそのことを強く意識させられた。

 もしかすると教授の退職の報せを聞いて、それに付随する様々な感情を受け入れることで、私は自分の中の大学を本当に退学できるのかもしれない。
教授の退職にはまだ二か月半ある。
自分の感情を整理する時間はまだまだある。
ゆっくり考えるとしよう。
それが教授から私に課せられた、最後の課題なのだから。

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