先日、長崎の海を挟んでお隣の県、熊本に行ってきました。
何年前になるのかな?以前バイクで走ったミルクロードをその時とは逆に走り、我ながらよく頑張ったな、と自分を褒めてあげたいほどのカーブの連続を、今回は車の助手席から眺めました。
阿蘇神社にも寄ったのですが、地震の爪痕がまだ生々しく残っていて、心が痛みました。
そして引いたおみくじは、吉。
これ以上の欲を出さず手も出さず、大人しく自分の道を粛々と進めば良いとのこと。
はい、心します。
そして走り続けること数時間、大分県に入り、知らない道を道路標識だけを頼りにうろうろしていると、かの有名な岡城跡の近くに自分たちがいることを知りました。
「どんなところか行ってみようかー」と軽いノリで入場料300円を支払い、その先にある坂と階段を上っていった私たち。
お城を見学する際は城攻めをする側の立場で見ろ、と聞いたこともあり。
この角を曲がるとその壁から弓矢で狙われる、ここを進むと上から石が落ちてくる、などと想像しながら登ると、なかなかに攻めづらく思われます。
それだけでなく途中、賄い方の跡や家老の屋敷跡もあり、当時の生活を偲びながら本丸へ向かいました。
やっぱりお城だけあって石垣がずっと続くのですが、驚いたことにないんですね、安全柵。
落ちたらどうしようとこわごわ端に近づくと、その高さに途端にすくむ足。
今までここから落ちた人っていないのかしら。
三の丸、二の丸と歩みを進め本丸へたどり着くと、そこで滝廉太郎の像が私たちを迎えてくれました。
岡城跡が有名になったのは、滝廉太郎の「荒城の月」の作曲、発表によります。
当時の岡城はひどく荒れ果て、そこに来るのは好奇心旺盛な学生か、鹿や猪を狩りに来る狩人くらいだったといいます。
「 荒城の月」 が有名になった後、補修の手が入って荒城ではなくなったらしいです。
なんだかパラドックスを感じますね。
文化財とはそういうものが多いのでしょうか。
そういう目線で見ると、いろんな文化財への見方が変わるかも。
そう思うと、もっといろんなところやものを見たくなりました。
よって我々の旅はここ大分で終わらず、もう少し続くことに。
次回、その模様をお伝えする予定です。
それまでしばしお待ちを。