そうして大人になる

   私が小中学生の頃 ( 遥か昔です )、母がとある雑誌を定期購読していました。

もちろん私も当然のように、その雑誌を読んでいました。

その雑誌は今でも人気のある実力派で、トップの記事は毎号お料理の特集。

私はそれを読んでお料理を覚えたと言っても過言ではありません。

料理の他にも雑貨の選び方から人気の観光地特集など、分野は多岐にわたります。

そして、特に興味深かったのが、読者の投稿です。

 

   毎号、決まったテーマに沿った投稿があったのですが、さまざまな意見がそこには綴られていて、そのコーナーを読むとなんだかまるで自分が大人になった気分になったものです。

いざ自分が大人になってみると、そのような記事も「うんうん」と頷けたりもしますが、当時はまだ理解できなかった女心に時には「?」と思いながらも、背伸びして読んでいた自分を、今では可愛かったなぁと感じます。

ひとが、まだ人間的に未熟な時期に大人ぶったり背伸びしたりするのは、珍しいことではないでしょう。

というか、誰もがそこを通過することこそが、大人になるのに必要なことなのかもしれません。

いま、若かりし頃の自分を振り返ってみて、強くそう感じます。

たぶん、誰もが通るところ。

でもそこを通り切るには、とてつもないエネルギーというか精神力がいるのです。

だから、真っ直ぐに通れずちょっと曲がったり。

「みんな」の中から逸脱してしまったり。

するんっとうまく通れる人ほど珍しいほうでしょう。

まるでそれは出産に似ています。

母親の胎内から外界へ出るのは、自分も自分を取り巻く環境にも大きな負荷がかかるのです。

でも、出切ったときのその喜びは、自分はそのとき感じることができなくても、後になってつくづく周囲に感謝することになります。

そう感じたとき、自分が本当に「大人」になったことを知るのです。

 

   みんな、特に年齢の幼いひとほど、今を生きるのに一所懸命。

そのとき自分が選んだ道は、後になってしか冷静には評価できません。

でも、大人は他人の人生を評価するちからがあります。

良きにしろ、悪きにしろ。

私がかつて雑誌の読者投稿コーナーを読むことで培った「背伸び」は、今日の私を強くしてくれているでしょうか。

その強さのベクトルは、どちらを向いているでしょうか。

それも自分には、後にならないとわからないのかもしれませんね。

それでもみんな、背伸びをしながら毎日をこなしていくのです。

とりあえず、なにかしら、頑張って。

それが、大人になるための、飽くなき挑戦。

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